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城井ノ上城址(きいのこじょうし)と三丁弓の岩

城井ノ上城址(きいのこじょうし)と三丁弓の岩

豊前宇都宮氏が代々居城とした城井谷城は天然の要害で難攻不落の城として知られています。
1586年豊臣秀吉の九州征伐によって当主宇都宮鎮房も秀吉に従うこととなりましたが、翌年伊予国へ移封を命じられます。先祖代々の地を去ることに反発した鎮房、そして宇都宮氏の移封に伴い豊前6郡を与えられた黒田官兵衛との間には不穏な空気が流れることとなります。鎮房の意を汲んだ毛利勝信は一度城井谷城を出て、その後に秀吉への嘆願を行うことを提案し、鎮房は城井谷城を明け渡します。しかし秀吉への懇願はかなわず鎮房は意を決して城井谷上奪還します。またこの騒乱により国人一揆も発生、黒田長政によって討伐が行われますが地の利を生かしゲリラ戦に打って出た鎮房によって撃退されます。本領安堵と人質として鎮房の娘鶴姫の差出しを条件に和議が成立しますが、黒田官兵衛の謀略により宇都宮一族は掃討され、大名としての豊前宇都宮家は終焉を迎えました。現在では「弓三丁あれば敵一兵も通さず」と言われた三丁弓の岩や表門などの城跡を見ることができます。

城井ノ上城址(きいのこじょうし)と三丁弓の岩の画像1

所在地福岡県築上郡築上町大字寒田
電話番号0930-52-3771(築上町役場文化財保護係)
駐車場約10台